私にとっての「三つ星レストラン」
ミシュランにおける「三つ星」の意味が、
「そのために旅行する価値のある料理を提供するレストラン」
ということであるなら、ここは私にとってのまごうことなき「三つ星レストラン」です。(きっと東京からわざわざいらっしゃる多くのお客様もそう思っているはずです)
2014年には農林水産省より「料理マスターズ」として顕彰もされた萩 春朋シェフが営む福島県いわき市のレストラン「HAGI」は、JRいわき駅から車で約15分の小高い丘の上にひっそりと佇んでいます。
扉を開けると木を基調にした優しい時間が流れる居心地の良い空間が。本当にどこか遠くの街まで旅してきたような不思議な空気感です。
そして萩シェフがオープンキッチンから、にこやかな笑顔で迎えてくれました。このレストランは萩シェフとソムリエである奥様の2人で営んでおり、2011年の震災から復興がようやく進んだ2019年までは、納得できる食材が用意できないと1日1組しかお客様を受け入れていませんでした。そして現在も萩シェフ一人で納得できるクオリティの料理を提供するために最大10名のお客様しか受け入れていません。
そしてシェフの後ろには、赤々と燃え盛る薪火が。
そう、ここは、野菜も魚も肉も、この土地に根ざした、この地域で作られた食材にこだわり、その食材を薪を使って焼き上げているレストラン。薪火料理という意味ではサンフランシスコにある世界的に有名なレストラン「Saison(セゾン)」を彷彿とさせます。
しかし、そんなタイプのレストランでReproがどうやって使われているのでしょうか…
期待の一品目は、なんと「茹で落花生」。
「なあ〜んだ。茹で落花生かよ。」というなかれ。一口頬張ると、そのプリプリ感と柔らかさと張りとが何とも絶妙なバランス。茹で落花生って火が入りすぎてグニャグニャになったりしがちですが、まるで計算され尽くしたかのような火入れです。
「これもReproで茹でたんですよ。」
世の中の多くのレシピには、「沸騰したお湯に入れ…」とありますが、実は茹で落花生にも最適な加熱温度があったんですね。本当にこの世界は温度にあふれています。
二品目は、地元の海で採れた新鮮なムラサキウニとじゅんさい。常磐もののムラサキウニの芳醇な美味しさはたまりません。滋味豊かな軍鶏のコンソメジュレがかけられていますが、このコンソメもReproを使って作ったとか。
次は、シャインマスカットと毛蟹。下には豆乳ゼラチンが敷かれ、伊勢海老のソースがかけられている斬新な海と山 いや果物との饗宴です。豆乳ゼラチンはReproを使って作られているようです。
やはり東北の海と言えば「メヒカリ」。薪火で丁寧に焼かれたメヒカリは脂が乗って最高です。脇には発酵白菜が添えられています。
今回はRepro開発チーム2名でお伺いしたのですが、一人はあまりアルコールが強くないのでお茶をお願いすると、出されてきたのは自家製ボトリングされた玉露。
「以前はお茶をボトリングしている大手の会社の商品を仕入れてたんですが、ある時、東京からいらっしゃったお客様に『あっ、これ知っているよ。◯◯◯のお茶でしょ。』と言われてしまい、それなら自分でボトリングしようかと。
一般的に玉露って60℃で抽出しますが、ボトリングしてみるとこの淹れ方だとなんかピンとこなくて…それでReproを使って60℃で抽出した後に温度を上げてキリッとさせてみたんですよ。」
これがまた美味しい。玉露の旨味と煎茶の爽やかさが同居しているといった味わいです。
Reproを使って松茸を加熱していた萩シェフいわく、きのこの旨味を最大限に引き出すことができる正確な温度と加熱時間の研究もすでにあるとか。
そもそも干しいたけの出汁を取るときに、冷水に漬けて冷蔵庫に一晩置くのは、しいたけを乾燥することによって、しいたけのRNAが分解されて作られた旨味の素グアニル酸が5℃以上になると分解酵素の働きでさらに違う物質に分解されてしまうから。
このグアニル酸分解酵素は60℃で失活してしまうので、冷蔵庫から出したらReproで一気に60℃以上に上げてしまうのがポイントです。そして60℃以上になると、今度はしいたけに残留しているRNAをグアニル酸に分解する酵素が活性化してきて、さらに旨味成分が増えていきます。
この温度帯は60℃〜75℃ぐらいと言われていますが、具体的に本当は何℃が最も旨味が効率的に抽出できるのかはあまり気にしたことがありませんでした。
しかし萩シェフは、そこまで温度を突き詰めているようです。
そんな下ごしらえを経て登場したのが、この松茸のフラン。
よく「香り松茸 味しめじ」なんて言われて、松茸は香りを楽しむものだと思われがちですが、生まれて始めて「松茸ってこんなに旨味があるんだ」と感じさせられる美味しさです。もちろん香りも豊かで、新しい松茸の美味しさを知りました。
そして渡り蟹とタマゴタケとお米の一品。これ、決してリゾットではありません。
「お米って開く温度があるんですよ。なんか高い圧力かけて高い温度で炊く、最近の高級な炊飯器のご飯を美味しいとは思えないんですよね。お米が美味しいと感じる温度は沸点より下にある気がして…」
「お米が開く」 まさにその表現がぴったりな、張りがあって、でも芯があるわけではなく、そのお米が本来持っている美味しさをストレートに味わえる瞬間という表現が正しいのでしょうか。
リゾットでもおじやでもなく、ましてや「炊飯」でもないこの感じ。Reproを使って針の穴を通すような温度コントロールでこそ実現する、新しいお米の味わい方なのかもしれません。
次は「日戻りかつお」。つまり、釣ってその日のうちに食卓に届いた新鮮なかつおを薪火と藁で二段階に炙ったものです。こればかりは本当に近くに豊穣な海があるレストランでしか提供できない味です。添えられているソースは完熟したピーマン(つまりは赤ピーマン)で作られています。パリの名店ランブロワジーのスペシャリテ「赤ピーマンのムース」の味を想像していただければ。それが新鮮なかつおの酸味とまたよく合います。
なすの揚げ物と釜揚げしらすのペアリング。このカラッとしたなすの揚げっぷり、素敵です。と思ったらキッチンに「クールフライヤー」を発見。
実物を見るのは初めて。クールフライヤーは油槽底面を水で覆って水冷する画期的な仕組みのフライヤーです。
そして釜揚げしらすの方はと言えばReproで多段階に繊細な温度コントロールをして、なんともふっくらした仕上がりに。
遂にお肉の時間です。地元の経産牛のステーキにカワムラフウセンタケ(その名前すら聞いたこともありませんでした)とナツハゼ(これってあのブルーベリーの親戚みたいな実が成る植物ですか?葉っぱって食べられるんですか?)が添えられています。それにしても薪火で丁寧に火入れされたステーキってなんでこんなに美味しいんでしょう…
そして締めに出てきたのは、なんと「とらふぐラーメン」。とらふぐのスープはReproで、上にトッピングされている「とらふぐ節」はエイジングブースターの機械で作ってあります。「とらふぐ節」ってところが、日本の懐石料理にインスパイアされたサンフランシスコSaison(セゾン)の「たこ節」を連想させます。同じ薪火料理だけに…
とにかく、生まれてこのかた食べたラーメンの中で最も贅沢な一品であることは間違いありません。
ちなみに温暖化の影響か、最近は常磐の海で、山口県あたりに送ることができるぐらい、とらふぐの漁獲量が増えているそうです。
とらふぐラーメンに夢中になっていたら、キッチンでは萩シェフが何やら美味しそうなものを鋭意制作中。この方って本当に楽しそうな表情で料理を作るんですよね。世の中には気難しいシェフも多いので、萩さんの表情を拝見しているだけで心がなごみます。
そして最後のデザート。栗と糀、牛乳、梨、そして真っ赤に完熟したいちじくをあしらえた一品。ん〜これはモンブランってことになるのかなあ…
何しろ栗の風味と甘味が濃厚で、福島県の自然と季節感がぎゅっと濃縮されたようなデザートでした。ごちそうさま、最後まで美味しくいただきました。
それにしても薪火料理は、完全には火力をコントロールできない一期一会のある種の「ゆらぎ」が、その本質です。なのになんでReproをこれだけご愛用して頂けているのでしょうか?
「薪火料理の『ゆらぎ』は料理にとってとても大切です。でもそれだけだと、ただの田舎料理になってしまうんですよ。だから一方でReproを使って極めて正確に温度コントロールしていく。そのゆらぎと正確さの両輪が、自分の料理には必要不可欠なんだと思っています。」
素晴らしい… まったく同意です。
このレストランをあえて分類するのであれば、世の中的には「イノベーティブ」というくくりになるのでしょう。
でも画期的とか先進的とか創造的とか、それだけでは表現しきれない大事な要素がこのレストランにはあります。それは、一口食べてみると、緊張感が自然にほぐれていくような、ほっとする味わい。
ゆらぎと正確さのバランスは、斬新だけれど気張ることなく、まるで自分の故郷に帰ってきたかのように素直に美味しいと感じられる稀有なグランメゾンを生み出していました。
それは地元の食材にこだわり、地元で暮らし、心から楽しんで料理を作る萩 春朋シェフの穏やかで優しい人柄のたまものであるのかもしれませんが。